健さん
今日は朝からものすごい雨で、
健さんがいなくなって寂しく辛いみんなの様子をみて、
健さんも悲しくて、そして悔しくて泣いているんだなって
朝からそんな気がしていました。
一昨日健さんが逝ってしまったと知って
たくさんの方がfacebookにメッセージを寄せていましたが、
どうしても信じられなくて、
深夜になってから今までのように、健さんにmessengerから
「そこにいるでしょ?」って。
すぐに返ってきたのは、ご長男からのお返事でした。
健さんはもう知ってるよね。
健さんと初めて会ったのはいつだったんだろうって、
今日PCのデータからオト文の写真をずっと遡りました。
2008.4.12 第七回のオトナ文化祭だったんだね。
mamaさんや八国山の仲間たちといらしたのが最初だった。
2009.6.9の第9回オトナ文化祭
時間が合えば必ずきてくれたね。
これは、2010.10.16 SWFの春日部和音で。
姫路でも一緒にやったね。
これは、2012.10.7の追浜のぼっけもん
2011年の東日本大震災以降初めての遠征ライブで
みんなとまた一緒にライブが出来たこと
懐かしいみんなに本当にひさしぶりに会えたこと
とっても嬉しかった。
このとき、健さんと奥さまが、おばあちゃんの歌を
聴いて涙が出たって。
それから会うときにはいつもリクエストしてくれた。
健さんは、ご自身が心の病で苦しかった時に、
オト文で歌ったのがきっかけで元気になっていったんだって、
いつもいつも感謝の言葉をいただいたね。
でも、大黒屋が東北から地元に戻って、会社を辞めて、
一番最初に、年末の「酔った男の唄を聞け」で、
大黒屋に声をかけてくれたのは健さんだった。
いつも節目のときに、健さんはそこにいてくれたんだよね。
本当に感謝したいのは、私達の方なんです、健さん。
今年のGW。
これが、健さんとの最後になっちゃった。
このときも、腸がやっとすっきりしたんだぁって、
長い時間ゆっくりお話することができて、
絶対に大丈夫だって、こちらが元気をもらって帰ってきた。
来年の桜のときには、一緒にお祭りのライブに出ようって
誘ってくれていたのにね、健さん。
ほんとにもう会えないの?
健さんは誰よりもまっすくで、誰よりも本当に優しくて純粋で、
素直に泣いたり怒ったり、この一年辛さも強さも
私達の前でさらけ出してがんばってきたよね。
たくさんの音楽仲間の方々が、健さんが楽しそうにお酒を呑んで
ギターを抱えてる写真や映像をアップしてくれていて、
またひょっこり、ビールを抱えて歌っている健さんが
記事をアップするんじゃないのかなって、
そんな気がしています。
健さん ありがとね。
また一緒に歌って、乾杯しようね。
それまで、ゆっくりお酒呑んでまっていてね。