2017年も残すところあと数時間。
今年は大黒屋や大切な音楽仲間に病が見つかったり、
旅立った仲間がいたりと悲しいこともありましたが、
それでも、数少ないライブ活動を大切に演奏することが出来たこと、
みなさまの応援に心より感謝申し上げます。
いつまでも世界が平和でありますようにと祈りをこめてつくった
「MUKURO~悲しい星~」を応援していただける幸せも
日々かみしめています。
来年もどこかにるま食堂が開宴したときには、たくさんのみなさまに
お会いすることが出来ますように♪
MUKURO~悲しい星~
だるま食堂(オリジナル)
マイケルJダウニーさん
飯田珠玲さん
ぴか太郎presents ~あの日のままで~で、北上尾のT's palさんで
歌ってきました。
あの日のままがどの日のままかわからないほど、懐かしい顔ぶれと
そしてこれまたいったいいつぶりかわからないほど二人でのだるま食堂。
共演は、初めましての3Msさんとぴか太郎さんとレイチさん。
シンドウアツコさんやはるちさんがやっていたこのカフェは、
とーってもかわいくってまさにだるまにぴったり(笑)
応援にいらしていたお客様もこれまた懐かしやぁと叫びたくて
大黒屋の口からでる間違った名前(笑)
それでも確かにそこに居場所があることを実感した夜でもありました。
レイチんと大黒屋のドリカム状態で
「明日の二人を夢見る夜」(レイチん17歳のときにつくった曲だそうです)と
「だるま食堂オープニング~ご進物」を演りました。
この三人って初めてのこと。
打ち上げが全員で出来ず心残りでしたが、楽しい一日でした。
ありがとう♪
<セットリスト>
1.オープニング~ご進物 with レイチ
2.港に腰をかけて
3.フェリー埠頭
4.おばあちゃんの歌
5.虹を渡れ
6.永代橋
7.MUKURO~悲しい星~
★アルバムはこちら
http://photozou.jp/photo/list/74509/9123020
今日で10月も終わり。
今年も瞬く間に残すところあと二ヶ月となり、
冷たい木枯らしの吹く季節がやってきました。
27日東京に住む大切な音楽仲間の訃報が届きました。
一年前に病が発覚し、
本当に懸命に戦っていたのに無念で言葉になりません。
こんなにも必死で生きたいと想っている人がいる一方で、
毎日毎日世界のどこかでテロのニュースが報道され、
人が人を殺めているなんてあまりにも悲し過ぎますね。
世界の平和というのは、
家族や友人が毎日元気に健康で、
笑って暮らせるところから始まるものなのに。
かなしいことに、だるま食堂の相方 大黒屋にも
父と同じ脳梗塞が見つかり症状が出ています。
自分は何も出来ないけれど、
相方の想いをこめてこの歌を歌いたいと想っています。
相方の想い・・・
youtubeの曲の紹介を読んでくださいね。
https://www.youtube.com/watch?v=p2XHp8YDhYg
健さん
今日は朝からものすごい雨で、
健さんがいなくなって寂しく辛いみんなの様子をみて、
健さんも悲しくて、そして悔しくて泣いているんだなって
朝からそんな気がしていました。
一昨日健さんが逝ってしまったと知って
たくさんの方がfacebookにメッセージを寄せていましたが、
どうしても信じられなくて、
深夜になってから今までのように、健さんにmessengerから
「そこにいるでしょ?」って。
すぐに返ってきたのは、ご長男からのお返事でした。
健さんはもう知ってるよね。
健さんと初めて会ったのはいつだったんだろうって、
今日PCのデータからオト文の写真をずっと遡りました。
2008.4.12 第七回のオトナ文化祭だったんだね。
mamaさんや八国山の仲間たちといらしたのが最初だった。
2009.6.9の第9回オトナ文化祭
時間が合えば必ずきてくれたね。
これは、2010.10.16 SWFの春日部和音で。
姫路でも一緒にやったね。
これは、2012.10.7の追浜のぼっけもん
2011年の東日本大震災以降初めての遠征ライブで
みんなとまた一緒にライブが出来たこと
懐かしいみんなに本当にひさしぶりに会えたこと
とっても嬉しかった。
このとき、健さんと奥さまが、おばあちゃんの歌を
聴いて涙が出たって。
それから会うときにはいつもリクエストしてくれた。
健さんは、ご自身が心の病で苦しかった時に、
オト文で歌ったのがきっかけで元気になっていったんだって、
いつもいつも感謝の言葉をいただいたね。
でも、大黒屋が東北から地元に戻って、会社を辞めて、
一番最初に、年末の「酔った男の唄を聞け」で、
大黒屋に声をかけてくれたのは健さんだった。
いつも節目のときに、健さんはそこにいてくれたんだよね。
本当に感謝したいのは、私達の方なんです、健さん。
今年のGW。
これが、健さんとの最後になっちゃった。
このときも、腸がやっとすっきりしたんだぁって、
長い時間ゆっくりお話することができて、
絶対に大丈夫だって、こちらが元気をもらって帰ってきた。
来年の桜のときには、一緒にお祭りのライブに出ようって
誘ってくれていたのにね、健さん。
ほんとにもう会えないの?
健さんは誰よりもまっすくで、誰よりも本当に優しくて純粋で、
素直に泣いたり怒ったり、この一年辛さも強さも
私達の前でさらけ出してがんばってきたよね。
たくさんの音楽仲間の方々が、健さんが楽しそうにお酒を呑んで
ギターを抱えてる写真や映像をアップしてくれていて、
またひょっこり、ビールを抱えて歌っている健さんが
記事をアップするんじゃないのかなって、
そんな気がしています。
健さん ありがとね。
また一緒に歌って、乾杯しようね。
それまで、ゆっくりお酒呑んでまっていてね。
この夏 36日間連続の雨に悩まされたのが嘘のようなピーカンのお天気に恵まれた二日間。
今年もなんとか無事だるま食堂のジャズフェスを終えることができました。
2004年に初めてだるま食堂として参加して以来初めてのブーストップでの演奏は2011年の東日本大震災の年から始まった地球の音Aを奏でることからスタートです。
青葉区役所北側の初めての最北端エリアは、上杉分庁舎の建物に反響して
まるでそこだけコンサートホールのような空間だったよ~と
聴きに来てくれた友人があとでメールをくれました。
いったいどれくらいのお客様がいらっしゃるのかしら?と不安が吹き飛ぶほど、
あけてびっくり 道路に溢れんばかりのお客様と本当に懐かしい友人らと遠方からの音楽仲間の応援に、緊張のかけらもなく楽しく気持ちよく歌うことができました。
へび~ずバンドも含め1999年からJSFに参加しています。
どの年もいろいろな想いいれや自分なりの反省があります。
これまでJSFはだれもが楽しめるお祭りだから、誰もが知ってる曲を一曲はやりたいとそう考えてこだわってきました。
けれど、昨年から大黒屋がまた新曲をかいてくれるようになり、
今年はそれを演奏したいという想いから、迷うことなくオリジナル中心でと決めました。
だるま食堂は、結成した時から遠距離で始まったユニットです。
かつては同僚だった相方が同じ職場を離れてからこの数年は、
その距離は益々ぐ~んと遠くなりました。
ユニットやバンドのいい演奏は、ともに演奏を重ねてこそのものだと
実感しているのは、どのバンドよりも自分達に他なりません。
いつまで経っても成長のないユニットかもしれないけれど、
それでも、いい歌といい仲間をもったユニットであることだけは負けないな
とそう実感するJSFでした。
時間の関係で入れられなかった「永代橋」
来年は必ず歌いますね♪
<セットリスト>
1.オープニング
2.ご進物
3.フェリー埠頭
4.港に腰をかけて
5.ありがとう
6.MUKURO
7.虹を渡れ
★みんなの笑顔のアルバムです↓
9/8-9
http://photozou.jp/photo/list/74509/90969639/10
http://photozou.jp/photo/list/74509/9097012